影が心を隠す時




奈良家でおこなわれた、心ばかりの会食の帰り、
いのいちは夜の河川敷の土手の細い道をいのの手を引いて歩いていた。
少し酒をきこしめしていて、気分良く酔っていた。
こんな夜遅くまで娘を連れ歩くだなんてと、
家に帰れば、自分の恋女房に小言を言われるのは勿論承知していた。

川の水面に反射する月の光がとても綺麗で、
いのいちは鼻歌交じりに娘の手を左右に振って歩くほどの上機嫌だった。
ささっと涼しい夜風が吹き、気持ちよくいのいちの額を撫でた時
いのは突然父親のいのいちの腕にしがみついてきた…。

「いの…どうした?」
「おとうさん…こわい…。」

いのが指さした先には、大きな満月

「大きなお目々が見ている…。」

いのいちがハハハ…と笑うが、いのの顔は今にも泣きそうになっていた。

「ずっと見ている…。」
「そりゃぁ…お月様だからな…。」
「だって…ずっと見られてるよ?それに、ずっと付いて来る…こわい…。」

いのはいのいちの腰に縋り付き、必死によじ登ろうとしていた。
そんないのをいのいちは抱き上げると、
いのは必死に頭を肩に押しつけて、顔を月から隠そうとしていた。
いのいちはいのの頭をを撫でた。

「何でそんなに恐がるんだ?」
「だって…見られてるもん。」
「見られて困る事ないだろう?」

いのはいのいちの肩に顔を擦り付けるようにして首を横に振る。

「あたし…、シカマルに悪いコトした。
だってシカマル…ずっとご本読んでいて、全然遊んでくれないから
あたしシカマルのご本隠しちゃった…の…。」
「それは…。」
「その後、シカマルは遊んでくれたけど…ちっとも楽しくなかった…。」

いのいちは、どおりで今日のいのはシカクの家でばかによそよそしい態度だったんだと納得した。
いのの頭を撫でながら「ちゃんと本を返して謝れば、シカマル君だって許してくれるぞ。」と諭した。
しかし、いのは首を横に振るばかりで、絶対に顔を上げようとしなかった。

「だって…『悪いコトした!』って、『いのは悪い子なんだ!』って…、
あのおっきいお目々に言われているみたい…恐い…。」

いのいちは必死に月の明かりから逃げようとするいのを無言で見つめながら少し考え事をし
意を決したように、そっといのを地面に降ろした。
しかし、いのは嫌がっていのいちの腕に縋り付いたが、
いのいちは何度もいのの絡みついてくる手を外して一人で立たせようとした。

「やー…!こわい…」

何度やっても抱き上げてくれない父親にいのは絶望して、
とうとうしゃがみ込んでシクシク泣き始めた。

「いの、ほら!みてごらん。」

いのは、いのいちのバカに明るい声をかけられた事に少し驚き、
その拍子に泣く事を忘れた。

「いのの足元、何がある?」
「………。」
「お月様は、いのの事じっと見ている。
良い事も悪い事も、いのが何をしたかをずっと見ているし、みんな知っている。」
「…………うぇっ…ひっく…。」

とたん、いのは震えだし大きな目からポロポロと涙が溢れ、
いのは何度も何度も、地面にくっついてしまいそうなくらいに踞り
目を擦って涙を拭っていた。

「よくみてごらん…。いのの目の前だ。
いのの目の前には影があるだろう?そう足元だ。
その足元の影は、いのが良い事も、悪い事をしても、ずっ〜と一緒なんだぞ?」
「………いっしょ?」
「ああ、いのと一緒だ。なにがあっても…。」
「???」

いのは泣きながらよく解らないと言う顔をした。

「お月様は恐いかもしれないけど、
お月様が出てないといのの足元の影も出てこない。」
「…そうなの?」
「ああ、…そしてその影はいのの側でずっと一緒だ…。
そして、どんなにいのが良いことをしても、悪いことをしても、
いのをずっと見守ってくれている。
だから、そんなに恐がるモノじゃない…。」

いのは、やっぱりわけが解らないと言う顔をしたが、すっかり泣きやんでいた。

「お月様は、恐いけど大丈夫なの…?足元の影がずっと一緒だから…。」
「ああ、そうだ。」

いのいちの言葉にいのは少し安心したのか、そっと立ち上がり、
足を上げたり下げたりしながら自分の影に見入っていた。
自分と同じ仕草をする影に納得したらしく、いのはソコで初めて顔を上げ、
恐る恐る父親のいのいちの方に手を出した。
手を繋いでほしいと言う意思表示だった。
そこで初めていのいちは一人で立っているいのの手を
そっと握り返した。

「お月様はもう恐くないか?」
「うん。あ…、ううん…やっぱり恐い。けど…大丈夫!だって、いっしょだもん!」
「そうだ、それでいい…。もう、一人で立って歩けるだろう?」
「うん!」

最後のいのの返事は明るく迷いのないモノだった。
いのいちはウンウンと頷きながら、いのと一緒に月を仰ぎ見る。

「いっしょだな?」
「うん、いっしょ!」

いのいちは、いのと一緒に手を繋いで夜の帰り道を歩き始めた。
そして、いのいちはそっと、
いのに聞こえないように独り言を言った。

   「これからのお前の身に、
           どんなに大きな月がお前を責める事があったとしても、
     その足元の影だけはお前と一緒だ。
              ずっと…ずっと…一緒にいてくれる。

                       ああ…オレがいなくなっても…だ…。 」


そして山中いのいちは、少し寂しく微笑んだのだった。



               〜


白い満月が煌々と照り、
夜鷹だけが鳴いている静かな森
いのは息を殺して大きな樹の幹に身を添わせて隠れ、
そして必死になって呼吸を整えようとしていた。

「…よぉ…。」

いのはビクリとクナイを構えながら、声をした方を見る。
そこには幼馴染みの顔…シカマルがいた。
いのはホッと息を吐いて、クナイを仕舞い、
額の汗をぬぐった。
気が付けばあれだけ乱れていた呼吸は普段するそれに変わっていた。

「あまりにも遅いんで、心配して様子を見に来たぜ…。大丈夫か?」
「…うん、ぬかりはないわ。」

いのは口に溜まっていた唾を飲みながらシカマルに答え、
安心したように木の幹から身を離し、シカマルの前に進み出た。

そして、白い月光に照らされる二人の姿…。
その足元には、二つの黒い影。

「やっぱり慣れないわね…、このテの任務は…。」

そう言って、シカマルに差し出したいのの手は、真っ赤に染められていた。
シカマルはちょっと困った顔をして、薄く笑う。

「因果な商売だな…。」
「…うん。」

いのは返事をしながら、頭上の輝く大きな『目』を仰ぎ見た。
その目は容赦なくいのを責める、

   『その人を殺した手でもって、
           目の前の好きな男に触れるのか?
       そんな手を持つお前は人を愛する資格があるのか?
                           愛される資格があるのか?!

                  ヒ ト ご ろ し !!!         』


いのは汚れのない大きな『目』の責めに
思わず畏れ、身震いし、慌てて下を向いてしまったが…、
足元の自分の影にもう一つの影が近づいて来たのを見付けた。
その影は、そっと手を伸ばしていた。

「いの…帰ろう…。」

いのは顔を上げ、目の前の差し出された手に気付き、
小さく頷きながら、そのシカマルの手をとった。、
そしてシカマルはいのの手を取りながらしその肩を優しく抱き寄せ、
すっぽりと自分の胸の中に納めて、納得したかのように微笑む。
いのは黙ったままシカマルの広い暖かさに身を委ねた。

何度も何度もシカマルは小さないのの頭を撫でる。
まるで、小さい子供を慰めているかのように…。
そして、いのはシカマルの胸に耳を当てて心地よい心臓の鼓動を聞きながら
自分の足元の影を確かめた。

自分の影は1つ…。
一緒だった。
…ずっと…ずっと。



子供の頃…、
いのが初めて犯した悪い事に怯えた時
大好きだった父親が語ってくれたそのハナシ。
いのはとうの昔に忘れていたが、
何故かその言葉だけは…しっかりと覚えていた。

良い事を…悪い事をしても
        月は常に見ている 

    そして、影もずっと一緒だ…、

            だから、絶望するな。


…と。




                                      <了>